てんはち雑記

400と75から1800になり2000

10年

こんにちは

もう10年ですか、長かったような短かったような、なんとも言えない気分です。
節目節目と聞きますが、そんなもんは人の決めた暦の上でたまたま偶数に当たってるだけでただ10年経っただけという感じです。偶数を柔らかいとかブニブニしてるようなイメージをもち、反対に奇数は硬い印象の人がいるらしいですが、僕は偶数ってバキッと割れるとか折れるとかのイメージで硬い感じがするんですよね。硬すぎるものは折れやすいみたいな?5は硬い系なんですけど、3は柔らかさの象徴。

ご冥福を、とかは僕がそういう人間ではないので心がこもっておらず、寧ろ無礼に当たるかなと思うのでここで書くことはしません。

ちょっと振り返ります。当時学校でまず2時46分の揺れを感じまして、その後帰宅する最中に歩きながらも転びそうな揺れに遭いました。これはえらい地震だなあと思って帰宅後すぐにテレビをつけると丁度津波の到達時間だったかな、ヘリなんかからの中継がありましたよね。
それを見たときの気持ちというのは、ちょっと言い表せないものがあります。コンビナートからの石油とか泥とか混ざって真っ黒い波が家とか車とか人を飲み込むさまというのは、想像を絶するものがありました。

ふと調べていて思ったんですが、あれだけの規模の津波をハイビジョンといえばいいのか、高画質で残したのは初めてだったんではないでしょうか。スマトラ沖地震は2004年だったと記憶してますし…

東北というのは個人的に好きな土地で、走るとなんとも言えない楽しさがあるのでオススメです。震災以降7回?8回?ぐらいは行ってると思いますが、海沿いを走ると本当に不思議な感情になります。

もう一昨年になりますか、ZXRで岩手まで行き帰りはひたすら海沿いを走ってきたのですが、陸前高田とか甚大な被害を受けたところの港とかない普通の海沿いの住宅地であっただろう場所の景色を見たときのあの感情ですね。津波の被害に遭ったところはまっさらで、それを海から遮るように真新しい高い防波堤が建ってるんですよね。あれを見たときはじきに止まってしばらく立ち尽くしてました。

それ以前にも、震災から2年後ぐらいだったかな、仙台空港に行ったんですよ。家族旅行で、見ておこうって。海に近づく空港周辺なんかはまだまだ復興が進んでなくて、空港機能の再生に集中的だったのかな?空港内部にここまで来ましたっていう印なんかがあって、でもそれ以上に周囲の光景が凄まじかったんですよね。

東北に何度も行って、被災地を見ると津波の影響力ってのは感じるところですね。特にインフラの分野の徹底的な破壊がありますから、道路なんかもまだまだこれからだと感じますし。例えば川に橋かけるの一つでも、結構かかるなーと以前近所の工事見てて思いましたが、そういう作業があれだけの広範囲で必要となると、一体どれだけの時間がかかるのかと思います。

原発の事故があってから福島は特に風評被害なんかもありましたし、他人事のようですが大変なことなんだなと。僕はそういうの一切気にしない人間なので、何でも食いますし、なんならいつもドケチ旅ですが東北行くときは気持ちお金を余計に落とすぐらいの心構えです。まあ役に立たないかもしれないですけどね。意味もなく桃衝動買いして食いまくったり程度ですが。

ちょっと最近行けてないなぁと思うので、ここんところちと忙しいのですが夏ぐらいには行けたらいいなと思ってます。
風化についても…どうでしょうかね。善し悪しを判断できるほど自分の器量は大きくないので言えませんが、そうした出来事の一定の風化という点では、経験した人間がほぼ死ぬことがその期間となるのでしょう。ですから2100年辺りには、風化してしまうんですかねぇ。当時を経験した自分たちもいつしか誰かの古典となり、時効を迎えることになるんでしょうが、僕の心に留め置くぐらいのことはしたいという、そういう心持ちですね。

おわり